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新型感染症関連
感染症予防対策の上、以下のとおりに集会を開催いたします。
〇マスクの常時着用
〇入退場時に手指の消毒にご協力ください。
〇窓を常時開放しています。
〇来会前には検温し、平熱より高かったり、体調がすぐれない場合は来会を控えてください。また、日々の検温も心掛けてください。
〇その他、来会の際に教会の掲示物をご確認ください。
〇祈り会 
毎週水曜日
午前10時~、午後6時半~

〇教会学校
日曜午前9時~

〇バイブルカフェ
12月15日(木)10時半~

教会での礼拝に出席できない場合には、家庭で礼拝予告にある聖書箇所を読み、祈りを合わせましょう。

  豊橋中部教会のホームぺージへようこそ!!

豊橋中部教会は1896年に創立した日本基督教団に属する教会です。また、宗教改革以来のプロテスタント教会で、改革・長老教会の伝統を重んじる全国連合長老会に所属し、その中の地域である東海連合長老会に属する教会です。

聖書の御言葉に聞く礼拝を第一としています。神の御言葉である聖書に耳を傾けることが人生において最も大切であると考えるからです。共に聖書の御言葉に耳を傾け、真の安息の中を歩むことができればと願っています。

日曜日の礼拝でお会いできるのを心待ちにしております。
礼拝出席がかなわない方などは、牧師にご相談ください。

次週礼拝

アドベント第3主日礼拝 
日 時 : 12月11日(日) 10時15分~
説教題: 「思いの違い」
聖書箇所 エレミヤ書17章9節―10節
     マルコによる福音書 14章27節-31節
説教者:  阿部 啓 牧師

         2022年12月4 日
「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」」    マルコによる福音書14章22節より


〇「一同での食事」
・イエスさま一行は一緒に食事をしています。そして、この後に続く部分との関りで主イエスの晩餐の制定に関わる言葉が書き記されていることには大きな意味があると言えます。
・それは十字架の出来事を前にして語られているということです。十字架を前に主イエスは何を語り示そうとされているのかに思いを向けたいのです。
・それはアドベントの歩みを始めている私たち信仰者と教会にとって大切なことです。というのも、このことは神の救いそのものと深い関りを持つものとなってくるからです。
・アドベントはこの方の到来を喜び待ち望む日々です。救いの出来事を待ち望む日々です。
・この期間において、神の救いがどのようにして私たちの内で示されるか、私たちが何をもって救いの出来事を思い起こすことができるようにされているのかを改めて示されるのです。
・まず、この食事は一人きりのものではありませんでした。一同で集まっています。主イエスは主の晩餐について弟子たちに語り経験させてくださるのです。
・一人に対してではなく、弟子たち一同に対して主イエスはこの特別な晩餐を用意してくださいます。そしてこの貴重な、ただ一回の恵みの食卓に招かれた弟子たちによって、福音は語り継がれていくことになります。

〇「パンによって主の体を受ける」
・更に、「イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与え」られます。一つのパンを裂いて弟子たちに分け与えられるのです。
・このパンは主イエスの体、命を指し示すものです。そして、この体が裂かれることは、主イエスの死とその死の意味を思い起こさせるものです。
・そこからさらに、主のみ体に与る交わりの中に生きる者とされていくのです。体とは身体的な体のみならず、存在そのものまで含んでいる表現だといえるからです。
・しかも、パンを分け与えられるに際して、賛美の祈りを唱えて始められています。この賛美の祈りは祝福の言葉です。主イエスが特別な祝福の中でパンを裂いてくださるのです。
・単なる日常生活における食事としてのみならず、神への深い感謝と賛美の中で持たれる特別な食事です。
・この福音書において「賛美の祈り」という言葉は6章の五千人、8章の四千人に対して食事を供する際の祈りと、本日の箇所の三ケ所のみで用いられていて、祝福を意味する言葉です。
・日常の食事は生きるために不可欠なものです。しかし、これらの食事はどれも日常の食事ではありません。特別な賛美と感謝、祝福に満ちた食事なのです。
・神の国の先取りとして、神の祝福の内に多くの人々への給食という二つの奇跡と、主の体に与らせていただくための、主の晩餐にかかわる箇所で賛美の祈りがささげられていることは、どちらも主の直接的な働きの中で準備される食事であることが示されます。
・それは主の体を受け取る者を直接的な関りに置いてくださるという恵みに繋がっていくのではないでしょうか。主の晩餐に与ることで、主イエスに結び付けられ、霊的な養いを受けるのです。
・「取りなさい。これはわたしの体である」という主イエスのみ言葉は、見える体を指してのみ言われている訳ではないでしょう。体とは身体的な体のみならず、存在そのものまで含んでいる表現だと、先ほど申し上げた通りです。
・このことから「取りなさい。これはわたし体である。」という言葉を「取りなさい。わたしを与える」ということとして理解できると思います。つまり、主イエスが御自身を私たちに与えると言ってくださっているのです。
・では、私たちはどのようにして主イエスのからだを受けることができるのでしょうか。これは、十字架の出来事に直結する事柄です。
・主イエスは御自身のすべてをもって十字架に架かられました。主イエスの肉と血、存在のすべてがそこに含まれています。それらを含めてパンと杯を与えることをここで明確に示してくださっているのです。しかも、パンに関しては私たちの聖餐式でも「これはあなた方のための私の体である」との制定の言葉をもって分け与えられるものです。
・聖餐式で分け与えられるパンは十字架に架かられた主イエスのみ体を思い起こさせます。十字架の救いの御業をそのままに思い起こさせる特別な祝福と恵みに満ちた食卓へと招かれている信仰者なのです。

〇「杯と十字架で流された血」
・一方で、本日の箇所において杯については、弟子たちにお渡しになり、彼らが飲んだ後で「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と言われます。
・パンについては予めこのパンが何かということを示す、制定の言葉として聞くことができますが、杯については既に与えられたものが何かという説明の言葉として記されているというべきでしょう。
・皆さんは杯の配餐時の制定の言葉をどのように聞いているでしょうか。「この杯は私の血による新しい契約である」との制定の言葉です。
・聖餐理解には多くの理解が存在してきました。そのすべてをここで紹介することはできませんが、私たちはパンとブドウ酒が制定の言葉によって、主イエスの肉と血に完全に変化するとは決して考えません。
・私たちの信仰の源流にあるカルヴァンの理解を要約しているものを紹介するとこのようにあります。「パンとブドウ酒におけるキリストの実体的な臨在を否定し、パンとブドウ酒そのものは象徴であるとしつつ、聖霊の働きによって高められて、キリストの現臨に接し、キリストにあずかると説いた」(新キリスト教組織神学事典 東京神学大学神学会編)
・つまり、聖餐におけるパンとブドウ酒は物素としてはそのままパンとブドウ酒だが、聖霊のお働きによってキリストの現臨をあらわすものとなる、ひいては、聖霊のお働きを信じる信仰によってパンとブドウ酒を通してキリストにあずかる恵みを受けることが許されるのです。
・本日の箇所を注意深く聞いてみると、杯が飲まれた後に「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と主イエスは語られます。
・予め十字架の血であることを示されるのではなく、あなた方が飲んだ杯が「多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」と宣言されるのです。
・主イエスの御言葉、約束によってブドウ酒の意味合いが大きく変化し、特別な性格を与えるのです。主イエスの約束、新しい契約によって与えられる救いの恵みを受けるのです。
・主イエスの救いの約束よってはじめて、パンと杯が救いの出来事として私たちに与えられるのです。
・そして感謝の祈りと訳されている言葉はユーカリステオーという動詞で、名詞ではユーカリスティアとなります。
・これは感謝するという意味の言葉ですが、聖餐を指す言葉となっていくものです。聖餐は感謝そのものであり、十字架の救いそのものです。
・主イエスが十字架で流された血によって私たちは贖われ、救われているのです。この大いなる感謝が杯には含められているのです。

〇「神の国で新たに飲むその日まで」
・そして主イエスは「はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい」と宣言されます。
・はっきり言っておくとは断言です。しっかり聞くべき言葉として語られる時に用いられる表現です。直訳すると「まことに、私は言う、あなた方に」という意味です。私たちで言えば「本当のことを言うのでしっかり聞いてください」と言ったらよいでしょうか。
・いずれにせよ、主イエスが語る真実の言葉として聞くべき事柄です。しかしその内容を見ると少し理解が難しいものだと言わざるを得ないかもしれません。これをそのままに聞くと、信仰者は神の国の完成までブドウの実で作ったものを飲むことはないとなるからです。けれども、聖餐式のたびに飲むものはどうなるのかと首をひねることになってしまうかもしれません。
・実はこれは否定の言葉でやがて来る事柄を強調する表現です。すでに見てきた9.1でもこういった表現はありました。・「また、イエスは言われた。「はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、神の国が力にあふれて現れるのを見るまでは、決して死なない者がいる。」」
・これは、信仰者は必ず神の国の到来を見る、神の国は必ず完成する、信仰者に新しい命が必ず与えられるという希望を言い表す御言葉です。
・つまりここでも、やがて必ず到来する神の国において、共にブドウの実で作ったものを飲むことを強調しているのです。けっして、今後飲むことはないと否定するのではなく、むしろこの神の国で共にパンを食し、杯を飲む希望へと信仰者を向かわせる言葉なのです。
・だからこそ、「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた」のです。この賛美の歌を歌うということは、賛美の祈りと言われていた22節とは別の言葉です。
・ヒュムノウという動詞で、名詞はヒュムノスとなります。英語で賛美歌を意味する「hymn」の語源となったものです。弟子たちの抑えきれない賛美が歌としてあふれ出ているのです。神の大いなる御業の前に出てくるのは賛美と感謝のみです。
・主イエスは主の晩餐の制定に際し、賛美の祈りと感謝の祈りをささげてくださいます。これは神の祝福と救いの御業を求めてくださる祈りです。
・決して私たちの求めに応えて、私たちの思いを満たすために備えられているのではなく、主イエスが救いの御業を私たちの中に確かなものとして示してくださるために、主の御言葉と約束の中で定められた特別な祝福の御業なのです。
・救われた者としての信仰が与えられ、信仰者として歩み始めるならば、私たちに向けて、神の救いと祝福が押し寄せてくるのです。この喜びと感謝に満ちた賛美の歌をもって歩む信仰者でありたいと願いますし、この喜びを共に祝うクリスマスへと歩みを進めていくのです。
・救い主の誕生を伝えると共に、十字架の死と復活をもって私たちのすべての救い主となってくださる方の誕生を語り伝える者として主があなたを用いて下さいますように。
・そして、私たちが地上において、まことのクリスマスを祝う群れとして立ち続けることができるようにと備えてくださった主の晩餐としての聖餐の恵みにあずかることが許される喜びにあふれる礼拝に招かれたことに感謝いたしましょう。











私どもは宗教改革以来の改革派の信仰に立つ正統的なプロテスタント教会の一つです。
世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)、モルモン教、ものみの塔等とは、一切関係がありません。




今週の聖句 
このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ
ルカによる福音書21章28節より

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牧師 阿部 啓(あきら)