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新型感染症関連
感染症予防対策の上、以下のとおりに集会を開催いたします。
〇マスクの常時着用
〇入退場時に手指の消毒にご協力ください。
〇窓を常時開放しています。
〇来会前には検温し、平熱より高かったり、体調がすぐれない場合は来会を控えてください。また、日々の検温も心掛けてください。
〇その他、来会の際に教会の掲示物をご確認ください。
〇祈り会 
毎週水曜日
午前10時~、午後6時半~

〇教会学校
日曜午前9時~

〇バイブルカフェ
2月16日(木)10時半~


教会での礼拝に出席できない場合には、家庭で礼拝予告にある聖書箇所を読み、祈りを合わせましょう。

  豊橋中部教会のホームぺージへようこそ!!

豊橋中部教会は1896年に創立した日本基督教団に属する教会です。また、宗教改革以来のプロテスタント教会で、改革・長老教会の伝統を重んじる全国連合長老会に所属し、その中の地域である東海連合長老会に属する教会です。

聖書の御言葉に聞く礼拝を第一としています。神の御言葉である聖書に耳を傾けることが人生において最も大切であると考えるからです。共に聖書の御言葉に耳を傾け、真の安息の中を歩むことができればと願っています。

日曜日の礼拝でお会いできるのを心待ちにしております。
礼拝出席がかなわない方などは、牧師にご相談ください。

次週礼拝

主日礼拝 
日 時 : 1月29日(日) 10時15分~
説教題: 「判決」
聖書箇所 エレミヤ書23章5節-6節
     マルコによる福音書15章1節-15節
説教者:  阿部 啓 牧師

         2022年1月22日
「ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた」
           マルコによる福音書14章71節より


〇「確認」
・目撃証言という言葉があります。何かを証言する時には、それなりの責任が伴うものですし、確証がないと断言することも難しいことは言うまでもありません。
・それでも、しっかりと見ていたり、記憶していたりする場合には明言できるものです。あの時あの場所でこんな感じの人がこのようなことをしていたと言えたりするものですし、態度にあらわれてきます。
・少しでも曖昧な部分があるとおどおどして不安な発言となることがあると思いますが、確実だと明確にそして、堂々と話すことができるものです。
・大祭司の屋敷の中庭にいた大祭司に仕える女中はそのような経緯と確認を経てはっきりと言い放つのです。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と。
・彼女がペトロをじっと見つめている様は、記憶の答え合わせでしょう。どこであったかは記されてはいませんが、彼女はペトロがイエスさまと一緒にいるところを見ていたのです。
・おそらくそのような人は大勢いたことでしょう。少なくともこの一週間前には、イエスさまを救い主として喜び迎え入れたエルサレムの人々だったことを考えると、沿道でイエスさま一行を見ていた人は数え切れないほどだったことでしょう。
・そしてまじまじと、じっと見つめペトロの顔を確認することで、自分が言うべき言葉が間違っていないことを確認したうえで、自らの言葉に責任を持てるからこそ「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と公言しているのです。
・この言葉はつまるところ、ペトロを罪に定める意味を持ちます。更には、彼女からすれば当然のことをしているともいえるでしょう。
・ナザレのイエスを犯罪者とした共同体の人々の中ではその仲間もまた共犯者とされるべき存在だからです。社会の中で犯罪に加担した者であることが分かっていながら、その人間を野放しにしておくことが望ましくないことは言うまでもありません。
・そしてペトロ自身も自分が置かれている状況を十分に理解しています。いま彼女の言葉がこの場で広がるとあっという間に自分が捕らえられることは火を見るより明らかです。

○「ペトロの否認」
・ペトロの心の中は大いに葛藤していたことも明白です。この物語を聞く時には、あの主イエスとペトロのやり取りを背景に覚えずにはおれません。
・マルコ14.27-31に現れたあの姿です。
「イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』/と書いてあるからだ。しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」するとペトロが、「たとえ、みんながつまずいても、わたしはつまずきません」と言った。イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」ペトロは力を込めて言い張った。「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません。」皆の者も同じように言った。」
・このやり取り中でのペトロに嘘偽りはありません。ペトロは本心からこのように言っています。おそらく主イエスの弟子を代表するような者としての自負があったことでしょう。他の誰よりも主イエスと長い間お近くで過ごしてきた弟子だからです。
・彼は自分の偽らざる主イエスへの思いをもって、宣言しているのです。自分の全責任にかけて、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても」と言っているように、命をかけて約束しているのです。
・しかし、彼の命をかけた約束も、主イエスの御言葉を超えることはありませんでした。「はっきり言っておくが、あなたは、今日、今夜、鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」という御言葉です。
・女中の一言に恐れをなして主イエスとの関係を全否定するペトロがいるのです。命がけで主イエスとの関係を守ること約束しておきながら、自分の命を守ることを優先してしまうのです。
・地上の命を大切にするとかしないとかいう議論で言うならば、間違っていない判断かも知れませんが、ここで問われるべきは主イエスとの関係です。ひとたび口にしたことを簡単に覆してしまうペトロの、そして私たち人間の姿です。
・目の前の恐れや苦難、誘惑によって簡単に心変わりしてしまう弱さを持っている私たちだからです。当然のことながらペトロは軽んじられるような信仰の持ち主ではなかったはずです。一番弟子というのも表面的な部分だけではありません。
・仕事も家族も捨てて主イエスに従った彼の姿を知らされています。ペトロが主イエスにすべてを賭けていたというのも偽りのない姿です。
・それでも、このような弱さを露呈してしまうのです。いや、弱さというよりも、主の御言葉がすべてに優先されることが示されているというべきでしょう。
・どれだけ私たちの思いが強くとも、信仰的だと思えるような思いであったとしても、主の御言葉、御計画が推し進められていくのです。私たちの思いが主の思いの上に立つことはあり得ないのです。
・このような主の御計画に委ねる信仰の歩みを祈り求めることが私たちには不可欠なのです。それが具体的にどういうことなのかと問いたくなるかもしれません。
・それに対しては繰り返し語っているように、主イエスに倣って神の御心が行われるようにとの祈りをもって地上の生活を歩み続けることが大切だといえます。
・私たちの信仰生活の模範は誰よりもイエスさまにあります。地上で模範的とも思える信仰者は多くいることも事実です。見習うべき信仰の先輩を持っている方も多くいると思います。
・私にも見習いたいと思う信仰の先輩が沢山います。そのよい姿を見習うことは無駄ではありません。むしろ有効に用いることができるでしょう。
・しかし、だからと言って彼らのすべてが信仰的に間違いのないものだと言うつもりはありません。見習うべき先輩たちに、良い部分しかないと言えば嘘になります。
・ペトロがそうであったように、主イエスに従いきることができない姿を持っています。裏切り通してしまうような深い罪を誰もがもっている私たちなのです。
・しかも、「女中はペトロを見て、周りの人々に、「この人は、あの人たちの仲間です」とまた言いだした。」とあり、更に「今度は、居合わせた人々がペトロに言った。「確かに、お前はあの連中の仲間だ。ガリラヤの者だから」と続きます。
・今やもう、この中庭にいる多くの人々が、ペトロに対して疑念の目を向けている状況です。そのような状況の中で、彼は全力で否定することになります。
・主イエスに命がけで従うことを約束したのと同じように、命がけで否定しているのです。それは71節の言葉から読み取ることができるものです。
・「すると、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「あなたがたの言っているそんな人は知らない」と誓い始めた。」と言っている中に、呪いの言葉と誓いという言葉があるからです。
・これは直訳すると「呪うことと誓うことを始めた」と言えます。この誓いが嘘ならば、自分に呪いが降りかかっても構わないということです。そして呪いとは、滅びを意味します。
・呪いを意味する言葉の訳語として「滅亡に委ねること」という言葉が辞書にあるくらいですから、それこそ、自分の全存在にかけて誓っているということになります。しかも、生死を超えた全存在と言えるほど大きな意味での命をかけているのです。
・また、呪いの言葉は自分に向けてのものとしてだけではなく、自分に疑いを向けた人々に向けての言葉としても聞くことができるでしょう。
・それは、あなたの言ったことが間違っていたならば、呪いを受ける覚悟を持つようにとの警告の言葉だということです。それだけ、自分の言葉が真実だということを公言したいということです。
・何かの疑惑を向けられた時に、自分には後ろめたいことが何もない時に相手に対して「じゃあ、本当に何もなければどうしてくれるんだ」と詰め寄るような言葉です。
・また、刑事もののドラマや小説では犯人が逃れようとして口にしそうな言葉です。このペトロの姿も同じような姿に思えてなりません。自分に非があるのに、何とかしてこの場だけでも切り抜けようとする愚かさです。
・そのような一時の逃げ場を求めて、彼はこれまで信じ、従ってきた主イエスを知らないと言い放つのです。しかも全存在をかけた否認です。
・彼の三度にわたる否定の直後に二度目の鶏の鳴き声が響き渡ります。ペトロはここで我に返るというか、主イエスの御言葉を思い起こします。
・ここで彼にできることは涙を流すことだけです。自分の愚かさ、情けなさ、申し訳なさ、不甲斐なさ、惨めさ、ありとあらゆる思いが彼の涙には含まれていることでしょう。
・私たちは主の前にあって涙を流すことしかできません。イエスさまとの関係を知らないと言ってしまうほどの無責任さから逃れることができない現実を持っているのです。

○「先に続く希望」
・それでも、この物語における希望は主の御言葉が実現していることです。人の言葉と思いは退けられても、主の御言葉が確かに起こっていることです。
・ペトロは「鶏が二度鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう」との言葉をそのままに行動しました。彼の本心とは反した行動だったかもしれません。
・けれども彼の思いをはるかに超えた神の御計画がここに現れているのです。このような神の御計画の実現はこの物語に留まるものではないことが私たちに対する希望です。
・ペトロに関して言えば、ここで主イエスを否認しているにもかかわらず、その後、初代教会の代表として用いられていくことになります。主によって用いられるのです。
・けれども、弟子たちの無責任の姿が全く咎められることのない姿ではないことは明らかです。主イエスは私たちの不信仰がそのままで良いとされる方ではありません。
・そもそも、マルコによる福音書における主イエスの第一声を思い起こすとはっきりとしてくると思います。1.15「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という言葉で始まった主イエスのお働きです。
・神の時が来た、救いの時が来たことを知らせると共に、悔い改めを求めておられるのです。悔い改めとは辞書から要約すると、心を変えることです。人生の根本をすっかり変えることです。神に立ち帰ることです。
・福音を知らされたならば、神の意志を受け入れ、キリストを自分の全生活の主として受け入れるという、神の前での生活態度の根本にかかわる切り替えをすることです。
・救い主として地上に来て下さったイエスさまを知らないと言い放ってしまう無責任な者から、自分のうちにキリストを受け入れ、キリストを知らされている者として責任をもって歩み続けていくのです。
・主と共に生きていながら知らないと否定したペトロを赦し、用いられたキリストです。そのようにペトロを変えて下さったのです。
・私たちもまた、キリストと出会い、それまでの自分とは違う主を知らされた者として新しい命を歩み始めていくのです。この命は主と共に生きる永遠の命であり、主の祝福に満たされた喜びの道でもあります。
・ペトロがそうされたように、私たちも同じように変えていただけることを信じ、希望をもって新しい歩みを始めていくことができれば幸いです。
・何よりもあなたが救われるために起こった十字架の出来事であることに思いを向ける時、すべての者を救われる神の御計画が今なお続けられていることに気付かされます。あなたに向けられている救いの御計画もまた必ず実現する主の御言葉として備えられているのです。





私どもは宗教改革以来の改革派の信仰に立つ正統的なプロテスタント教会の一つです。
世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)、モルモン教、ものみの塔等とは、一切関係がありません。




今週の聖句 
そして人々は、東から西から、また南から北から来て、神の国で宴会の席に着く。
ルカによる福音書13章29節より

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牧師 阿部 啓(あきら)