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み言葉への招き


説教

   
神様からのメッセージ・聖書のみ言葉は、礼拝生活の中で私たちに働きかけてきます。礼拝は、前奏から始まり後奏に至るまで、そして日々の生活へ送り出され、次週の礼拝に至るまで続いていきます。特に教会での礼拝は、全てのプログラムに神様を拝する意味が込められています。共に教会に集い、み言葉を聴き、主を讃美することができることを祈っております。          
しかし都合によって、礼拝に出席できなかった方々のために、礼拝での聖書朗読と説教を準備いたしました。マイクをクリックすると音声が流れます。しかし準備ができない場合もあります。また高齢や疾病、様々な障害のために礼拝に出席できない方々には、在宅聖餐も含めて訪問をいたします。ご連絡をお待ちしております。


6月8日 説教 マイクから聴くことができます)

彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。
       使徒言行録2章11節より 

聖 書   使徒言行録2章1節ー13節

〇「教会の誕生日」
・ペンテコステ、聖霊降臨日は教会の誕生日だと言われます。私たちの教会の誕生日は1896年9月13日です。今年で129年です。その日に湊町に看板を掲げて始められたのが豊橋中部教会の始まりです。アメリカからの宣教師と日本人の協力者によって湊町の建物から始まったのです。
・何かを始める時には、様々な準備が必要です。特に新しい事業などを始める時にはいろいろな準備が必要です。
・それは私たちが何かを新しくしようとする時に必ず伴うことです。先日納骨堂の棚を新しくしましたが、その際にも市役所の担当とのやり取りがありました。職員の方が直接確認に来られて問題ないとのお墨付きを頂きましたので、安心して使うことができます。
・私たちの社会ではこのお墨付き、使っていいですよ、ここで活動してもいいですよという許可がとても大切なのです。1896年の豊橋中部教会の始まりにどれだけの準備や許可が必要だったかは詳しく分かりませんが、それなりの苦労があったことと思います。
・建物の準備、そのために必要なお金の用意、誰がどのように働くか、どのようにして周囲に案内して回るかなど、特に記録を見ると、「この時代は正に鹿鳴館式の欧化心酔時代から一転して反動国粋謳歌の全国的に漲っていた時代」だったと記されていて、キリスト教の看板を掲げること自体が難しい時代だったことが分かります。それでも必要が満たされて豊橋中部教会の前身である湊町講義所が始められていきました。
・それはすでに聖書のみ言葉を知らされた人々が、自分たち以外のイエスさまのことを知らない多くの人々にもイエスさまのことをお知らせしたいという願いをもって始められたからです。そのために必要な建物やお金を用意して、豊橋での活動が始められていったのです。
・実は、今日の新約聖書の言葉はエルサレムという町での教会の始まりの出来事でした。ここには聖霊が降る出来事が記されていて、この出来事から教会が始まっていったので、教会の誕生日と言われるのです。

〇「聖霊降臨」
・つまり世界で最初の教会の始まりの出来事です。では、どのようにして世界で最初の教会は始められたのでしょうか。2節、3節を見ると一つの所に集まっていた弟子たちに「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」とあります。
・これは神さまの霊が弟子たちに与えられたことを表しています。炎は旧約聖書でも神さまが現れる時に用いられる表現です。そして、舌は言葉に繋がります。神の霊によって与えられる言葉がここに示されているのです。
・示されているのです。と言われてもすぐに「はい、そうですか」と言えるような出来事ではありません。とても不思議な出来事としか言いようがないものです。炎のような舌といわれても簡単にはイメージすることもできないのではないかと思います。
・この時以外にはない出来事なので、イメージできなくても当然です。でもここで大切なのは、どんな形で炎のような舌が登場したかということではなく、炎のような舌がそれぞれの上にとどまった弟子たちがどうなったかということです。
・五旬祭という大きなお祭りの時期ということもあって外国からも多くの人がエルサレムにやってきていました。それは違う言葉を使う人々がたくさんいるということにもなります。
・私たちも外国はもちろん、日本語でも方言が分からないということもあります。そうなると、何か言われても何を言っているのか分からないということにもなります。
・通常であれば、自分が普段使っている言葉以外の言語は、様々な学習をして分かるようになるものです。それは聞くにしても話すにしても同じです。
・しかし不思議なことに炎のような舌を受けた弟子たちは、それぞれエルサレムいる人々が皆自分の国の言葉で話されたのを聞いて、あっけにとられたというのです。あっけにとられるというのはものすごく驚いたと言い換えてもいいでしょう。
・それくらいとんでもないことが起こったのです。たくさんの言葉で一つのことが語られているからです。11節には多くの国々から集まってきていた人々が「彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは」といって驚いている姿が示されています。
・神の偉大な業を語っているということは、弟子たちはたくさんの国の言葉で、聖書から神さまについて話した、神さまのみ言葉の説教をしたということです。
・そして、ここで色々な国の言葉で話されたということだけではなく、弟子たちが自分たちの言葉で話しているけれども、すべての人が理解することができたとみることができるという人もいるそうです。
・そこで何が大事かが示されてきます。どのようにして語られたかではなく、確かに伝わったということです。何語で話されたからその国の出身の人が理解することができたということではなく、語られたことを、その場にいたすべての人が聞き取った、伝わったということが一番大切なのです。
・皆さんの中でも母国語以外の言語の礼拝に出席されたことがある方もおられると思います。私も外国で礼拝に出席した経験がありますが、言語的にはちんぷんかんぷんでも、礼拝の場に集められていることに喜びを覚える経験があります。そこで聖餐にあずかった時には、言語が分からなかった分、神さまのみ言葉を心から味わう経験をしました。
・言語が分かればそれに越したことはないのですが、一時的に母国語以外で礼拝するときには、このような経験をすることがあると思います。
・けれども、エルサレムにいた人々は何が語られているかをはっきりと聞き取ったのです。それが神の偉大な御業であり、イエスさまが救いを示してくださったというこれ以上ない良き知らせです。
・それは私たちの教会でも毎週の礼拝で聞き続けていることです。もしかすると、言葉として理解できないようなこともあるかもしれません。
・それでも聖書から神さまの救いがあなたに与えられていることを語り続けるのが礼拝の説教です。決して説教者の主義主張や訴えなどの人の思いが語られるのではなく、神のみ言葉に根差した言葉が語られるのです。
・その最初の出来事が本日の聖書の物語なのです。聖霊の働きによって神さまのことが語られ始めているからです。教会の始まりに必要だったのは、建物でもお金でも道具でもなかったのです。神さまの言葉が語られる、このことだけが教会の始まりとして記されているのです。
そして、この聖霊の働きは語る説教者に注目しがちですが、聞く聴衆にも確かに注がれています。
・そもそも、礼拝説教というものは説教者が語るだけでは成り立ちません。説教者が準備したことが語られれば十分、ではないのです。この礼拝の説教前の祈りを思い起こしてみてください。
・どの司式者も必ず説教者だけではなく、聞く者も説教を神のみ言葉として聞くことができるようにと聖霊の導きを祈り求めています。それは説教が一方通行ではないからです。
・語る説教者も聞く聴衆も同じように聖霊の働きによって、語られる説教を神さまの言葉として聞くのです。そして、その働きかけは人それぞれ違います。
・今日の箇所でも好意的に捉えて「神の偉大な業を語っている」という人もいれば、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた」といわれる人もいました。
・私たちのすべてが同じように反応するわけではないのです。聞くことを拒むような人々がいることもここで分かりますが、それだけでなく、「いったい、これはどういうことなのか」と戸惑う人もいます。
・当たり前のことですが私たちは皆、人それぞれです。それぞれに相応しい形で聖霊は働きかけてくださいます。すぐに分かる人もいれば、長い期間を経て分かる人もいるでしょう。
・しかし、聖霊の導きは確かに私たちの中で働いています。激しい風が吹いてくるような音と言われていたように、聖霊は風のように私たちの中で見えなくとも確かに働いていてくださるのです。
・そして、私たちに神さまのみ言葉を聞き分ける力を与えてくださいます。それは言語として聞き取る力ではなく、神さまのみ言葉を神さまのみ言葉として聞き取ることができるようにしてくださる特別な恵みです。
・私たちは神様によって選ばれ、導かれてこの礼拝に集められました。これもまた聖霊の導きによるものであることを覚えておきたいのです。神さまは聖霊なる神さまとして必要な時にあなたに働きかけてくださり、聞くべきみ言葉を確かに語りかけてくださいます。
・私たちは、たとえ今は分からなくても、聖霊によって分かるものとされるようにとの祈りをもって御言葉に聞き続けていくのです。そこで示される神の御業を確かに聞き取り、共に信仰の歩みを進め、福音を宣べ伝えていくことができれば幸いです。


information

〒440-0864 
豊橋市向山町字七面89-1 
日本基督教団 豊橋中部教会
TEL :0532-52-6894

Mail:
kyoukai@toyochubu-ch.org

アーカイブ

色の変わっている部分の説教題をクリックしてお進み下さい。
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6月15日(日)
 第3主日礼拝
 『公明正大
新約聖書より
使徒言行録25章:1節〜12節
旧約聖書より
詩編17編:1節〜5節

6月8日(日)
 ペンテコステ主日礼拝
 『神の御業が聞き取れる
新約聖書より
使徒言行録 2章: 1節〜13節  

6月1日(日)
 第1主日礼拝
 『物怖じしない
新約聖書より
使徒言行録 24章:24節〜27節
旧約聖書より
エレミヤ書 1章: 17節



5月25日(日)
 『何をしたか』
    できる

新約聖書より
使徒言行録
24章:17節〜23節
旧約聖書より
ダニエル書  6章: 4節〜 7節a
 

5月18日(日)
 『告発と弁明
新約聖書より
使徒言行録
24章: 1節〜 16節
旧約聖書より
ダニエル書
12章: 1節〜 4節

5月11日(日)
 『先に進められる
新約聖書より
使徒言行録
23章:13節〜35節
旧約聖書より
箴 言 8章:32節〜 36節

5月 4日(日)
  『陰謀への備え
新約聖書より
使徒言行録
23章: 12節〜22節
旧約聖書より 
詩 編 : 31篇:14節〜17節



4月27日(日)
 『勇気を出せ
新約聖書より
使徒言行録
22章:30節〜23章11節
旧約聖書より
歴代誌上16章:23節〜27節

4月20日(日)
 イースター主日家族礼拝
 『復活の知らされた
     女性たち

新約聖書より
マルコによる福音書
16章:1節〜8節

4月13日(日)
受難週主日礼拝
逮捕と逃亡
新約聖書より
マルコによる福音書 
14章:43節〜55節

4月6日(日)
主に用いられる
    パウロという人物

新約聖書より
使徒言行録 
22章:17節〜29節
旧約聖書より
サムエル記下
16章: 5節〜14節



3月30日 『弁明』
新約聖書 使徒言行録       22章:6節〜16節
旧約聖書より  詩編      107篇:17節〜 22節

3月23日『正反対に変えられた
新約聖書  使徒言行録     21章:37節〜22章5節
旧約聖書より エレミヤ書   20章: 7節〜 9節