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新型コロナウィルス関連
感染症予防対策の上、以下のとおりに集会を開催いたします。
〇主日礼拝ではマスク着用で讃美歌を歌います。
〇聖餐式の執行は控えますが、聖餐を覚えて聖書朗読とメッセージを聞き、讃美歌を歌います。
〇入退場時に手指の消毒にご協力ください。
〇窓を常時開放しています。各自での防寒対策をお願いします。コートなどの上着の着用も可。
〇来会前には検温をしてくださり、平常より高かったり、体調がすぐれない場合は来会を控えてください。また、日々の検温も心掛けてください。
〇祈り会 
毎週水曜日
午前10時~、午後6時半~
〇教会学校
日曜午前9時~
〇バイブルカフェ
3月18日(木)10時半~
 
教会での礼拝に出席できない場合には、家庭で礼拝予告にある聖書箇所を読み、祈りを合わせましょう。

  豊橋中部教会のホームぺージへようこそ!!

豊橋中部教会は1896年に創立した日本基督教団に属する教会です。また、宗教改革以来のプロテスタント教会で、改革・長老教会の伝統を重んじる全国連合長老会に所属し、その中の地域である東海連合長老会に属する教会です。

聖書の御言葉に聞く礼拝を第一としています。神さまの御言葉である聖書に耳を傾けることが人生において最も大切であると考えるからです。共に聖書の御言葉に耳を傾け、真の安息の中を歩むことができればと願っています。

日曜日の礼拝でお会いできるのを心待ちにしております。
礼拝出席がかなわない方などは、牧師にご相談ください。

次週礼拝

受難節第4主日礼拝
日 時 : 3月14日(日) 
説教題: 「羊の大牧者」
聖書箇所: イザヤ書63章11節-14節
      ヘブライ人への手紙13章20節-21節
説教者:  阿部 啓牧師 

2020年3月7日説教要旨
ヘブライ人への手紙13章17節-19節

「わたしたちのために祈ってください。」
         (ヘブライ人への手紙13章18節より)

・教会ってどんなところ?と聞かれたならば、どう答えるでしょうか。様々な答えが考えられるかもしれませんが、基本的な答えは神を礼拝するところです。
・では礼拝とは何をするのか?となると、説教を聞く、賛美する、祈る、献金をする、信仰告白をするなど、礼拝式順に即した答えが考えられます。これらはみな教会が大事にしてきていることです。
・これらの中でも説教が中心です。教会は神の御言葉に聞くことから離れることはないからです。
・ヘブライ人への手紙は教会の交わりに向けて語り掛けています。「神の言葉を語った指導者たち」(13.7)と言われているのは、教会の中心である礼拝、そして説教を担う人々です。
・しかも、言葉だけではなく、その生涯を通して神の御言葉に生きる信仰を証しした人々です。こういった指導者たちを指して「指導者たちの言うことを聞き入れ、服従しなさい」(13.17)との言葉が語られています。
・世の指導者、為政者ということではなく、信仰共同体の指導者です。しかも、それは立場によって確認されることではなく、彼らの働きによって確認されるものです。
・「この人たちは、神に申し述べる者として、あなたがたの魂のために心を配っています」(13.17)と言われています。「心を配る」ということは、目を覚ましている、見張る、世話をする、監督するといった意味を含む言葉です。
・つまり立場にあぐらをかいて何もしないとか、正しい世話をしないような人ではなく、常に相応しい配慮をもって関わり、御言葉を語り、正しい導きを示す存在です。
・そして、彼らが神のために喜んで仕えることができるように、服従しなさいと命じるのです。それは神の正しさと真実が中心にある関係です。
・この関係が保たれるならば、共同体に益となると言っているのです。語り示す者も、聞いて受け取る者も共に喜び合う関係であれば、そこには大きな効果が生じることは間違いありません。消極的な交わりではなく、積極的な交わりがここに語られているのです。
・つまり、教会は神の御言葉によってたて上げられていくのです。そこで、信仰の交わりが確かにされていき、成長が与えられます。
・この交わりの中で「わたしたちのために祈ってください」(13.18)と願っています。これは信仰の交わりに全幅の信頼を置いているからこそ願い出ることができることです。
・彼らは教会に願っているだけでなく、自分たちも「明らかな良心を持っていると確信しており、すべてのことにおいて、立派にふるまいたいと思っています」(13.19)と語ります。
・人に求めるよりも先に、自分自身が神の御前に相応しさをもって、信仰に生きる者として相応しく生きることを切望しています。そこから、自分たちのために祈ってほしいと懇願するのです。
・ただ私たちも日々の生活の中で、祈ってほしいと思ったり、誰かに対して、祈りに覚えます、などと言ったりすることがあると思います。その時に、しばしば感じるのはあまりに軽々しく言ってしまっているのではないかということです。
・例えば社交辞令のように「祈ってますね」といいながら、忘れてしまっているようでは、相手に対してはもちろん、神に対して不誠実を働いていると言わざるを得ません。祈りの内容についても同じようなことが言えるでしょう。
・大きな広がりの中での祈りと、身近な人に関わることに対する祈りとでは、感覚がだいぶ違うということがあると思います。
・あまりに身近で、緊迫度が高かったり、深刻な状況であったりすると、祈りを合わせることすら憚れてしまうようなことを経験したことがあります。
・相手にとって本当に必要だと痛いほど感じているのに、投げかける言葉も見つからず、相手のことをひそかに思い祈り続けるしかないという経験をしたこともあります。
・祈りというものは日常でありながらも、神との対話と言われるほど、とてつもないことなのです。神とのかかわりの中で祈りが捉えられると、自分勝手な言葉がいかに相応しくないかと気づかされるのです。
・ヘブライ人への手紙の著者も自分勝手な思いで「祈ってください」と願っているのではありません。おそらく彼らは信仰を理由に迫害にあっていたと思われます。そこに祈りの支援を要請しているのです。
・「祈りの法則は信仰の法則」などと言われることがあります。祈りが伴わない信仰も、信仰が伴わない祈りもありません
・祈りの支援を求めているということは、信仰の支援を求めているのです。祈ってくださいという時には、共に信仰をもって生きてください、ということにつながっていると思います。
・それは突き詰めていくと、信仰の創始者である主なる神に全てを委ね、自らを明け渡して生きる道なのです。
・私たちの交わりにおいても、祈りの交わりが豊かにされていくことを切に願っています。主に信頼し、すべてを明け渡した信仰者の交わりとして、喜んで「祈ってください」と言い合える、主の体なる教会として歩んでいきましょう。



私どもは宗教改革以来の改革派の信仰に立つ正統的なプロテスタント教会の一つです。
世界平和統一家庭連合(統一教会)、モルモン教、ものみの塔等とは、一切関係がありません。

今週の聖句 
鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない。
ルカによる福音書9章62節より

教会全景

   礼拝堂
玄関
玄関ホール
納骨堂
 このホームページに引用される聖書は「聖書 新共同訳」であり、
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牧師 阿部 啓(あきら)