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新型感染症関連
感染症予防対策の上、以下のとおりに集会を開催いたします。
〇マスクの常時着用
〇入退場時に手指の消毒にご協力ください。
〇窓を常時開放しています。
〇来会前には検温し、平熱より高かったり、体調がすぐれない場合は来会を控えてください。また、日々の検温も心掛けてください。
〇その他、来会の際に教会の掲示物をご確認ください。
〇祈り会 
毎週水曜日
午前10時~、午後6時半~
〇教会学校
日曜午前9時~
〇バイブルカフェ
11月18日(木)10時半~
 
教会での礼拝に出席できない場合には、家庭で礼拝予告にある聖書箇所を読み、祈りを合わせましょう。

  豊橋中部教会のホームぺージへようこそ!!

豊橋中部教会は1896年に創立した日本基督教団に属する教会です。また、宗教改革以来のプロテスタント教会で、改革・長老教会の伝統を重んじる全国連合長老会に所属し、その中の地域である東海連合長老会に属する教会です。

聖書の御言葉に聞く礼拝を第一としています。神の御言葉である聖書に耳を傾けることが人生において最も大切であると考えるからです。共に聖書の御言葉に耳を傾け、真の安息の中を歩むことができればと願っています。

日曜日の礼拝でお会いできるのを心待ちにしております。
礼拝出席がかなわない方などは、牧師にご相談ください。

次週礼拝

主日礼拝
日 時 : 10月24日(日) 
説教題: 「あなたの信仰があなたを救った」
聖書箇所: エレミヤ書30章12節ー17節
      マルコによる福音書5章21節ー34節
説教者:  阿部 啓牧師 

       2021年10月17日説教要旨
    マルコによる福音書5章11節ー20節
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
           マルコによる福音書5章19節より

〇「洗礼式を振り返って」
先日病床における洗礼式を執行させていただくことができました。
・洗礼式は牧師にとって、また教会にとって最も喜ばしい時です。神の御力が地上において働かれていることを目の当たりにする時だともいえるからです。
・しかし、私自身は神との関係で目の前のことをあまり感情的に見ないようにしています。それは、感情が優先してしまうと、神の御業というよりも、自分を満足させる業となってしまうと思うからです。
・それでも、時に神は言葉では言い表すことが難しい出来事を引き起こされます。主の御業によってなされたとしか受け止めようのない出来事を示して下さることがあるのです。
・ご家族との話し合い、今回は危篤状態が続き、意識がない中での病床洗礼式を行うことを教会として決断しました。
・しかし、当日は私どもが伺う前から意識を取り戻し、会話はできませんでしたが、こちらの声に反応することができるほどの状態でお会いすることができました。

そして、洗礼式を行ないに来ましたと声をかけると、笑顔でうなずいて下さいました。
・そのやり取りの詳細をお話しするつもりはありません。ただ、今回のことで強く思わされたのは、神が必要とされることは必ず行われるということです。
・神はこの方を信仰者とすることを待っておられました。そのために自分が遣わされているという確信をもって、洗礼式を執り行うことができました。
・これはとてつもない恵みだということを感じざるを得ませんでした。そして、信仰と献身の思いが強められた出来事でした。

〇「イエスさまの奇跡」
・私たちは信仰を持って生きることを選び取りながらも、日々の生活の忙しさなどによって、信仰よりも日常の生活を優先するような姿があることを否定できません。
・生活のために働くことは必要です。しかし、大前提を見失ってしまっては、本末転倒です。信仰者は神の恵みを受けて生きていることを知っています。
・仕事も、日々の糧も神の恵みのうちに与えられるものです。そこから離れたままではむなしいのです。
・私たちがいつも神の方へと向き直ることができるように、主の救いの御業に聞き続ける礼拝があるのです。
・追体験という言葉がありますが、礼拝はまさに神の救いの追体験とも言えます。
・しかし、一般的な追体験とは違い、単純に過去に起こった出来事を追うとか、疑似体験をするわけではありません。
・主の救いのみ言葉に耳を傾けるとき、今この時においても同じ恵みが注がれているからです。そして、信仰によって時を超えて同じ恵みを受けるのです。いつ、どこにあって、信仰の実体験が与えられるのです。
・私たちの礼拝は、主のみ言葉に聞き、恵みの中を生きるために備えられている時です。日々の生活に追われていたとしても、主のみ前に立ち帰る時なのです。
・そして、イエスさまが行われた様々な奇跡の御業も、人々に神を指し示したり、神に立ち帰らせたりする確かな働きを持つものです。
・本日の箇所における、汚れた霊を退ける奇跡もまた、多くの人々の目に見える形で示された、多いなる力によるご支配です。
・誰もがどうすることもできなかった汚れた霊に対して、圧倒的な力をもって語りかけ、汚れた霊と向き合っておられるイエスさまです。

〇「豚に乗り移る汚れた霊」
・汚れた霊は、どうにかして自分が敵うわけがないイエスさまから逃れようと画策します。そこで目をつけたのが豚の大群でした。
・レギオンという名前の意味は「大勢」でした。だからこそ、多くの数がいる豚の大群を選んだのでしょう。
・また、豚はユダヤ人によっては汚れた動物で、食べることはもちろん、飼育することも憚れた存在です。
・しかしこの辺りでは、豚が飼育されていたわけですから、ユダヤ人の生活する地域ではなかったことが明らかです。
・そして、それは、汚れた霊からすると、神の支配が及ばない所だと思われたのではないでしょうか。

神の言葉である律法の中で汚れた存在とされている豚が飼育されているわけですから、そちら側に行けば、自分が助かるかもしれないと考えたのではないかとも思います。
いずれにしても、イエスさまは汚れた霊の「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」という願いをお許しになります。
汚れた霊は助かったと思いきや、乗り移った豚は一斉に湖に流れ込み死んでしまいます。つまり、汚れた霊は滅びたのです。
・このような姿からこの物語を「だまされた悪霊の話」と表現した人がいます。面白い表現だと思いますが、これはあくまでも、悪霊からの視点でしょう。
・自分の思い通りに事が運んだと思ったはずです。この人から豚に乗り移って生き残ることができると確信したはずです。
・しかし、豚を飼育し、神のみ言葉とは遠く離れたところだと思った場所においても、イエスさまの御力は働かれるのです。
・たとえそこに住む人々が、律法に従っていないとしても、イエスさまの力によって、悪霊は豚に乗り移ることが許されました。しかし、それにとどまらず、豚が湖に一直線です。
・助かったと思いきや、「何故~!」と大声で叫びながら湖に入っているような姿が思い描かれてなりません。それだけ、イエスさまのみ言葉の正しさとご支配とが表れているのです。

〇「人々の反応」
これにて、悪霊に取りつかれた人は救われます。本来の彼の姿を取り戻していただいたのです。それは、表面的にも存在としても言えることです。
・洗礼の話を冒頭にいたしましたが、洗礼は神と共に生きることを言い表すものです。悪霊によって神から遠ざけられていた彼が、再び神と向き合い神と共に生き始めるのです。
・本来、私たちは神の創造の御業によって、神と共に生きる者として創られたのです。この姿を取り戻させていただくことが洗礼の恵みだともいえます。
・悪霊に取りつかれた人は、この地域の人々からは危険人物として恐れられていました。どんな手段をもってしても、治ることがなかったのです。誰一人として彼が治るなど思えないほどの状況に陥っていたのでしょう。
・そんな人々が、多くの豚が湖になだれ込んだと聞き、何が起こったのかと見に来て、イエスさまの前で正気を保って座っている彼の姿を見て驚くのです。
・そして、この驚きは恐ろしさを生じさせます。自分たちがどうすることもできなかった状況を、完全に掌握し、改善している力を持つ存在に恐怖を覚えるのは分からないではないです。
・圧倒的な力は恐怖を覚えさせます。それが、自分にとって良いものだということが分からない限り、自分には太刀打ちできないような力を私たちは恐れるのです。
そして、こういった恐れは距離を生み出します。ここでも、「人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだ」ます。
得体のしれないものはどれだけ力があったとしても、良いものであったとしても受け入れ難いのです。
・けれども、実際その身で経験したものからすると、ついていきたいと思わせる程心酔します。

〇「救われた者とイエスさまの応答」
イエスが舟に乗られると、悪霊に取りつかれていた人が、一緒に行きたいと願った。」とあるように、彼は是非ともイエスさまとこれからの時を過ごしたいと願っているのです。
それに対して「イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」」と記されています。
これは、それぞれに与えられた使命があると読めはしないでしょうか。イエスさまと共に行くのではなく、自分の生活の場でなすべきことをしなさいと命じられるのです。
・自分が受けたことを自分の家族に伝えるのです。隣人に伝えるのです。
・教会は信仰共同体です。伝道共同体です。自分が出会ったキリストを、自分に対して与えられた恵みを宣べ伝えていくのです。
それは時に驚きを生じさせます。20節にある「驚いた」は、驚嘆を意味しているわけでは無いようです。ここでの驚きは、怪しみ訝しむという意味がある驚きです。
大きな変化があると人々は何があったかと怪しむのです。訝しむのです。
・しかし、怪しまれるしても、訝しく思われるにしても、変化が目に見えて表れているのです。
・キリストとの出会いは私たちを変えます。見える部分でも見えない部分においても、必ず何かしらの変化が起こります。
・少なくとも主と共に生きる時に、祈ることを始めます。み言葉に聞くことを求めます。心から喜び賛美いたします。
・これらは礼拝における私たちの営みです。イエスさまのことごとく知らせなさいというご命令は、私たちが自分の信仰の歩みを全うすることを求めておられるのです。
・主と共に生きていることを喜んでいくことが、それぞれの生活の場で主を宣べ伝えることにつながっていくのです。それは、喜んで礼拝する歩みです。
・地上のあらゆる所においても、天の御国と同じように、主の御業が宣べ伝えられ、賛美される礼拝がささげられますように。



私どもは宗教改革以来の改革派の信仰に立つ正統的なプロテスタント教会の一つです。
世界平和統一家庭連合(統一教会)、モルモン教、ものみの塔等とは、一切関係がありません。

今週の聖句 
主が何をお前に求めておられるかは お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し へりくだって神と共に歩むこと、これである。
        ミカ書6章8節より

教会全景

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牧師 阿部 啓(あきら)