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   旭町時代の教会堂



   大国町時代の教会堂


豊橋中部教会の123年   

 豊橋中部教会は、1896年、明治29年にアメリカ南長老派ミッションの管理指導のもとに講義所として伝道を開始した。1912年に同派ミッションの援助によって、西洋風な会堂が旭町に建設されるまでは、市内数カ所を移転している。1925年には、日本基督教会浪速中会の所属となり、伝道教会の資格が与えられた。その後、日本基督教団の所属となって、豊橋旭町教会と名乗るも、戦災にて会堂を失い、ほとんどの信徒は離散するに至った。

 戦後、おもに大陸から引き揚げて来られた牧師と信仰者たちによって、家庭集会が持たれ、1949年に市の区画整備事業に伴って、大国町に代替地を得て、会堂が再建され「豊橋中部教会」と名称を変更した。その際にアメリカ信徒奉仕団の災害復興援助も受けている。1976年には、現在地の向山町に移転し、新たに会堂を建設し、現在に至っている。

 現在、豊橋中部教会は、教会としての基本方針を持っている。それは、

① 聖書の信仰に立つため、基本信条を基準にし、福音的諸信条及び1890年日本基督教会信仰告白、1954年日本基督教団信仰告白に告白されている信仰を継承する。

②救い主イエス・キリストの現臨のもとに、絶えず神の言葉によって、改革されるために、改革教会の礼拝の伝統を重んじる。

③救い主イエス・キリストの主権の教会に擁立するために、プレスビテリー(中会)の形成に努める、に要約される。また1995年に東海連合長老会に加盟し、信仰告白を規範とする諸教会と共に、キリストの主権を擁立し、その支配のもとに生きる教会の形成に励んでいる。
 
 今、私たちは、この地にあって、2千年の全教会史がそうであったように、使徒たち以来の信仰に改めて同意し、その信仰を受け継ぎ、神の祝福を受け継ぐ教会として、神が誉め讃えられるためにのみ仕え、ただ神に栄光を帰する教会として歩んで行く志と決意を新たにしようとしている。

  

豊橋中部教会史
歴代の牧師、宣教師、伝道師
豊橋中部教会60年史より

日本基督教団 豊橋中部教会 略史

1896年(明治29年)9月13日
市内湊町に、アメリカ南長老派ミッションの管理指導のもとに、講義所として伝道開始

1902年(明治35年)
曲尺手町に移転

1907年(明治40年)
東八町に移転 幼稚園事業開始(幼稚園はその後ミッションの管理指導のもとに、旭町を転々とする
(「豊橋旭幼稚園」の名称)

1912年(大正元年)
ミッションの援助のもとに、旭町に会堂建設

1913年(大正2年) 5月6日
講義所から伝道教会(「日本基督豊橋教会になる

1925年(大正14年)9月
ミッションから独立し、日本基督教会浪速中会所属の伝道教会となる

1930年(昭和5年)
ミッションの援助のもとに、前畑町に幼稚園舎建設

1940年(昭和15年)
日本基督教団の設立にともない一部所属伝道教会となる

1941年(昭和16年)
日本基督教団中部教区愛知支教区「豊橋旭町教会」となる

1942年(昭和17年)
同一ミッションの指導下にあった東八町の在日の朝鮮教会と一時合同し、伝道教会から自給独立の第一種教会となる

1945年(昭和20年)6月
戦災で会堂焼失 第二種教会として家庭廻り集会へ 前畑町の幼稚園舎も焼失
   - 戦 時 中 断 -

1947年(昭和22年)
老松町の個人宅で主日礼拝再開

1949年(昭和24年)
市の区画整理事業に伴う旭町の代替地を中柴町(現大国町)に取得し、アメリカ信徒奉仕団の戦災復興援助と信徒献金によって会堂再建、「豊橋中部教会」と名称変更

1950年(昭和25年)
会堂の裏地に県の認可を受けた教会付属として「豊橋旭幼稚園」再興

1954年(昭和29年)
第一種教会となる

1975年(昭和50年)
幼稚園を向山町の現在地に移転させ、学校法人向山学園を設立

1976年(昭和51年)
向山町の現在地に移転、会堂建設

1991年(平成3年)
改革長老教会愛知東協議会発足

1995年(平成7年)5月21日
東海連合長老会加盟